瑪瑙異書類従

瑪瑙異書類従
準備中

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prep room 準備室(一号室)
menou books  メノウブックス(二号室)
瑪瑙文庫(三号室)

2017年8月14日月曜日

読まずに食べる本。食べずにあつめる本。

自分の部屋は畳の部屋で、そこでひたすら読書とパソコンと映像を見たり写真を見たりそういう時間で今は回っている。今回の陸の生活は半分以上が自分がやり残した試験勉強と、次の生活のための読書と準備に費やした。収穫は漢籍の捕獲作業。
あたらしく準備室の三室目として瑪瑙文庫という名前で漢籍図書室を設置した。

調査の過程で分かったことは、日本に数ある図書館には既に、多くの漢籍テキストが収まっていて、ここから改めて新しい図書を買うような予算や余力や気概や熱意みたいなものは全く感じられずに、むしろそれが自分にとって中華再造善本を買おうという動機付けになった。 たかだか200部や多くても500部程度の初版本を日本国内のみならず中国本土、対象としてもちろん台湾や韓国などでも購買層がいても良いのだろうけど、もはや研究所でも物好きでもほとんどだれも見向きもしないくらいの本の塊は読まずに食べる類の置物の部類なのかもしれない。

再造善本の"両漢紀"が2011年初版200部でまだ残っているということは、買う段階で、テキストの見本が見えないということも含めて、もはや飽和しているということなのかもしれない。自分が一人でこの2017年に及んで狂ったように騒いでいる"春秋左傳正義"36巻については2003年初版300部で15年くらいたっても捌けていないということが 、ほとんど誰も買わないということの証明になる。国費を使った中国の図書館や研究所でも回らないということが現状の漢籍の位置付けということになるだろう。だからと言って本自体の価値がどうこうするはずはなく、だったら自分が集める価値はおのずと見出せるという結論になる。

この文字の塊と、紙、印刷、綴じもふくめて読んでみると、単に実用化されたハードカバーの一般普及書にはない本自体の良さが、手触り、目ざわりの感覚として生きた書物のように感じられるのは大きい。

 "朱慶餘詩集"はとにかくこの文字が異常に美しいことと、折本でまとめられているということが大きい魅力となる。ただ紙が他の再造善本とことなるのは、折本仕様と関係しているのかもしれない。薄い紙で折本を作るというのは至極むづかしいということなのかもしれない。これだけのページ数を折本仕様にするにはある程度まとまりと強度のある紙が必要だということかもしれない。



 問題の"春秋左傳正義"36巻。蔵書印の内訳は現在のところ残念ながらよくわらない。
(北京図書館蔵というのはわかる。)




この"鶡冠子"の蔵書印は馬鹿でかいのだが、よくありがちなのか、どうなのかわからないくらい本文テキストにかぶった感じがうっとうしい。すこしは遠慮しろよと。小さい蔵書印できっちり所在所蔵がわかる印のほうがよっぽど賢そうだし、機能美もあると思う。

とりえずまだまだ自分は入り口にも立っていない感じだから、謙虚に根気よく本を集めたい。積ん読的な場としての瑪瑙文庫じゃなくて、学術的な意味を含めた、資料庫の役目を果たせるような場を独自に確立したい。




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