瑪瑙異書類従

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2017年7月26日水曜日

できるだけ遠くへ



呻吟語は最近手にいれた書物で、線装、函入り、文字が全て青色。文字組が一般的なもので、それほど際立って美しい形態とは感じられなかった。凡庸書物という感じ。ただ紙に埋め込まれたテキスト自体はとても貴重なので大事にしたい。

最近は、普段の自分の日常生活からどれだけ物理的に精神的に遠くへ行けるかを実践している。日常生活が良くも悪くも起点だから、可能な限り離れたところから見える日常はそれだけで価値があるように感じる。

この呻吟語も従来そんなに重要視されなかったみたいだし。
自分がこれは素晴らしい、貴重でしかも、質的量的バランスもすばらしいと思って大事にしている群書治要もきっとそんなに重要視されてこなかったんだろうと最近あらためて感じてはいますが、そこから派生させ、派生してくる二次制作物に期待して、どうにか自分で一から再生産していきたいとはゆるく考えてはいます。

うとうとして、ぼんやり遠くを見ながら、のんびりしようと努めた休日が気づいたらほとんどの時間が、吹き飛んで行く感じで、目の前がどんどん雑然としてくる。いらないもの、見たくないものが溢れてきて、これはちょっと耐えられないなと意識が働いて、ものをどんどん遮断する、切り離す毎日です。

街の本屋を見てもゴミの山のようにしか感じられないのは自分の単なる思い込みだとしても 、本を集めるのは面白いなと。人の写真を見ることは面白いなと。自分で写真を撮るのは面白いなと思うこと場面はたくさんあります。最近も継続して写真をとってはいますが、斜に構えたりせずにできるだけ物事人物の正面を捉えるようには意識的にしています。


1256年の今から760年くらい前にだ、この本(群書治要)は起こされたわけだけども、このサインというか署名というか、まことにかっこいいね、美しいね、ほんとうに。

街にあふれる変なグラフィティーとかいらないから、
きっちり刻字されているグラフィティーが見たいね。

電車の中吊り広告とか、テレビ、CM、雑誌とかアドビ文字でことごとく溢れているけど、やっぱり文字は手書きが一番美しい。

徳川家康が死ぬ間際に血眼になって編纂させた駿河版本(1616年)は判型としては美しいけれども、だいぶ急がせて作らせたものだから文字が暴れているようです。
上の写真の翻印本は、金沢文庫の所蔵だった群書治要で鎌倉時代の巻物(1256年)を昭和16年に活字に起こしたもので、優しい感じがして、しかも美しい。

1000年くらいの時間感覚で物事を立体的に考えられたら素晴らしいと思う。日常生活のあれこれがどんどん切り捨てられていく、質も量も失ってどんどん軽くなっていく時間の感覚をとにかく大事にしたいと思う。

現状の山の中での隠遁生活を日常ととるか、海上生活を日常ととるか、どちらも同じように天秤にかけて、それを何でバランスさせるかを考えたときに、もはや上記のような時間的にも歴史的にも叩き潰されずに耐えて生き残った強固な書物のようなものでしか支えきれないような気がしている。

日常のこまごまとしたことにいらいらしても仕方がない。
自分はできるだけ鶡冠子みたいな山人生活と、俊寛みたいな島流し生活をとりあえず最大限楽しみたいと思う。遠くまで行けるということは、結論的には幸せなことだから、今ここで見たり聞こえたり感じたりできることを、景色としての日常生活を素直に楽しみたい。





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