瑪瑙異書類従

瑪瑙異書類従
準備中

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prep room 準備室(一号室)
menou books  メノウブックス(二号室)
瑪瑙文庫(三号室)

2017年7月28日金曜日

おさんぽ お絵描き


少しスイッチが入って なんか一人で盛り上がってきているのですが、この雑誌の何が良いかと言うと、表紙がすごく良い。根源的な描くとか記すとか全身で表現する感じが美しい。書道とか形式ばったものでなく、ダイレクトに暴力的に構造物に記す術。甲骨文字とか石碑とか竹簡とかそっちの流れを汲んでいると思う。生きた遺跡碑文。新しい文字形態。

雑誌のタイトルはHSM GRAFFITIマガジンです。

 10号から13号までまとめて手に入れた。
冊子的には薄いが中身は貴重な記録でまとめられている。インタビュー記事が熱い。デザインだなんだと、PCデータじゃ意味がないと熱く語って、現物に物に直接書き込んで、描き、落としこんでいくことこそ意味があると、アナログ万歳。。すばらしい言葉で綴られている。

結局この表紙の場所、人、撮影データなど一切の情報は得られなかったが、それもまた良いと思う。そういった性質のものだから。


 ステッカーも手に入れた。三栄アート工房 CASPERさん謹製ステッカー。良い感じ。









2017年7月26日水曜日

できるだけ遠くへ



呻吟語は最近手にいれた書物で、線装、函入り、文字が全て青色。文字組が一般的なもので、それほど際立って美しい形態とは感じられなかった。凡庸書物という感じ。ただ紙に埋め込まれたテキスト自体はとても貴重なので大事にしたい。

最近は、普段の自分の日常生活からどれだけ物理的に精神的に遠くへ行けるかを実践している。日常生活が良くも悪くも起点だから、可能な限り離れたところから見える日常はそれだけで価値があるように感じる。

この呻吟語も従来そんなに重要視されなかったみたいだし。
自分がこれは素晴らしい、貴重でしかも、質的量的バランスもすばらしいと思って大事にしている群書治要もきっとそんなに重要視されてこなかったんだろうと最近あらためて感じてはいますが、そこから派生させ、派生してくる二次制作物に期待して、どうにか自分で一から再生産していきたいとはゆるく考えてはいます。

うとうとして、ぼんやり遠くを見ながら、のんびりしようと努めた休日が気づいたらほとんどの時間が、吹き飛んで行く感じで、目の前がどんどん雑然としてくる。いらないもの、見たくないものが溢れてきて、これはちょっと耐えられないなと意識が働いて、ものをどんどん遮断する、切り離す毎日です。

街の本屋を見てもゴミの山のようにしか感じられないのは自分の単なる思い込みだとしても 、本を集めるのは面白いなと。人の写真を見ることは面白いなと。自分で写真を撮るのは面白いなと思うこと場面はたくさんあります。最近も継続して写真をとってはいますが、斜に構えたりせずにできるだけ物事人物の正面を捉えるようには意識的にしています。


1256年の今から760年くらい前にだ、この本(群書治要)は起こされたわけだけども、このサインというか署名というか、まことにかっこいいね、美しいね、ほんとうに。

街にあふれる変なグラフィティーとかいらないから、
きっちり刻字されているグラフィティーが見たいね。

電車の中吊り広告とか、テレビ、CM、雑誌とかアドビ文字でことごとく溢れているけど、やっぱり文字は手書きが一番美しい。

徳川家康が死ぬ間際に血眼になって編纂させた駿河版本(1616年)は判型としては美しいけれども、だいぶ急がせて作らせたものだから文字が暴れているようです。
上の写真の翻印本は、金沢文庫の所蔵だった群書治要で鎌倉時代の巻物(1256年)を昭和16年に活字に起こしたもので、優しい感じがして、しかも美しい。

1000年くらいの時間感覚で物事を立体的に考えられたら素晴らしいと思う。日常生活のあれこれがどんどん切り捨てられていく、質も量も失ってどんどん軽くなっていく時間の感覚をとにかく大事にしたいと思う。

現状の山の中での隠遁生活を日常ととるか、海上生活を日常ととるか、どちらも同じように天秤にかけて、それを何でバランスさせるかを考えたときに、もはや上記のような時間的にも歴史的にも叩き潰されずに耐えて生き残った強固な書物のようなものでしか支えきれないような気がしている。

日常のこまごまとしたことにいらいらしても仕方がない。
自分はできるだけ鶡冠子みたいな山人生活と、俊寛みたいな島流し生活をとりあえず最大限楽しみたいと思う。遠くまで行けるということは、結論的には幸せなことだから、今ここで見たり聞こえたり感じたりできることを、景色としての日常生活を素直に楽しみたい。





2017年7月20日木曜日

夏やすみの終わり


7月が終わります。
夏休みも終わります。

来月また船に戻ります。
そして、今年も終わります。

来年2月ごろ船から家に戻ります。

また頑張ります。
準備室3号室は漢籍図書室にするつもりです。
群書治要48冊あります。
論衡に説苑も。
船に乗る前に両漢紀(前漢紀+後漢紀)、申鑒が届く予定です。



2017年7月12日水曜日

とにかく体を動かす。前に進むだけ。

街の本屋さんで売ってない本が群馬の山奥にどんどん集まってきています。
まだまだスタート地点にも立っていない感じですが、商売でも、ボランティアでも、なんでもない分、誰にも強制されていない分、自由に主体的に動けるのではないかと思っています。

とりあえず売り切れ散逸前に収めることができた本は以下の通りです。
群書治要 50巻(原本散逸4,13,20巻)48冊(凡例解説含一冊)昭和16年宮内省図書寮翻印版
張九成集 精装本4冊
以下中華再造善本
説苑 <宋咸淳元年鎮江府學刻元逓修本>(清黄丕烈幷跋、清顧廣圻跋)
論衡 <宋乾道三年紹興府刻宋元明遞修本>(清錢謙益批點 清黄丕烈跋 葉昌熾題款)
鶡冠子 <明弘治碧雲館活字印本>
両漢紀 <明嘉靖二十七年黄姫水刻本影印>
賈長沙集 <“啓淑信印”、“古潭州袁臥雪廬收蔵”、“積学斎徐乃昌蔵書”、“南陵徐乃昌校勘経籍記”等印>
朱慶餘詩集 <宋臨安府棚北大街睦親南坊陳宅書籍鋪刻本>(清李振宜題款、清黄丕烈、瞿中溶跋)
はなんとか手に入れることができました。
両漢紀は結構重要な書籍になると思います。
史部経部の大御所典籍(内容的には歴史書。)
春秋左傳正義も探してもらっているところです。
今後は 史部のまとまった正史本も収めたいと考えていますし、
資治通鑑、明通鑑や紀事本末シリーズも集めたいと計画しています。

とにかく体を使って、動けるだけ動くこと、働くこと、頭をフルに使って言い訳せずに、
できるだけのことはやりきること。
周囲に文句言っている間には、時間も過ぎれば景色も変わる。
偉そうなこと言いながらも少しずつでも前に進みたい。
それにしても暑い。





2017年7月7日金曜日

群書治要について

国会図書館のデジタルアーカイブズで確認出来る群書治要のテキストは、昭和16年に宮内省図書寮から出版された活字印刷による和装48冊本。金沢文庫本から翻印したもので、原本テキストにかぎりなく近い。(この時に併せてコロタイプ印刷による巻子本が50部のみ出版されたようです。)本日こちら(和綴じ翻印本)を古書店で手に入れることができました。近年出版された古典研究会叢書本の影印本(7冊精装本)とはまた異なる仕様のようです。四部叢刊に収められているのは天明尾張本テキストなので、こちらとも異なる版本です。宮内庁書陵部所蔵データによると天明版(尾張版本)、元和2年銅活字駿河版本(徳川家康版)、金沢文庫本(巻子本)があるようです。できたら昭和16年に制作されたコロタイプ巻子本も手に入れられたら素晴らしいなとは思っていますが、とりあえず手に入った昭和16年の翻印本の整然とした活字版本をゆっくり時間をかけて読み込んでみたいと思っています。

最近は非常に規則正しい生活を心がけていて、船の生活以上にバランスが取れているように感じている。自分にとって書物や美術作品は単なるコレクションじゃないから、どうやって何を収めるのか、収めることができたのかという部分では一切妥協せずに、周囲のノイズや、コマーシャル的な声を聞きつつも、常に前向きに冷静に進められたら素晴らしいなと今は思っています。

おしゃれなギャラリーで展開されうる物語も、巨大な美術館で展開されうる劇場空間も、自分にはどうしても敷居が違う気がしているから、そんな区画整理された安全地帯も、きれいに整備されたショッピングモールにも確実に距離を置いた上で、何かこれだけは、これしかないだろうという作品に対しては、きちんと正面から向き合っていこうと思います。

他人の受け売りじゃなくて、自分がこれは間違い無いだろうというものに対しては、絶対的に 突き進んでいこうとは思っています。怪我をしようが、血をみようが、そのあたりの痛みは避けては通れないというくらいの覚悟は必要かなと、最近は強く思っています。