瑪瑙異書類従

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2017年5月21日日曜日

葉徳輝=觀古堂藏書目


注文していた2つの千字文が家に届いた。
宋徽宗瘦金書千字文
趙孟頫真草千字文 の二つ。

こちらの本というか冊子は必要最低限の綴じで、バラして使うもよし。部分的にコピーして文字を解体してもよし。とりあえずさらりと眺めて、これを叩き台にして文字組みを作ろうと思う。瘦金文字はすばらしくバランスが良いと思う。そして美しい。

いままで低空飛行でそれほど興味も関心もなかった漢籍に対する興味関心が膨れ上がって今ひたすら調べている。まあよくもこんなにたくさんの本が生き残っている事だと驚いている。資料をずっと調査していて、中途半端なテキストは使い物にならないとか、原本じゃなければだめだとか、いろいろ思うところはあるのですが、こちらの諸子百家なるデータベースサイト(特に圖書館)はとにかく素晴らしい。辞書機能からピンイン、原本までシームレスで繋がっている。

明治書院から何十年かかけて、じわりじわりと出版され続けている新釈漢文大系本の特上バクラム装(函入り)が、本としてすごく興味深く、また手に入れやすいところではありますが、そちらにはひとまず手を出さずに、まずは江戸から明治時代の漢学者の成果を結集した漢籍国字解全書なる1900年くらいに出版の、こちらの書籍のテキストが誠に素晴らしい。こちらに集約されまとめられた全集の種をさかのぼる形で原点回帰=個別の原典を探っていこうと思う。熊沢蕃山や市川鶴鳴、市川鶴鳴は近所の高崎市立図書館に俳山亭文庫として蔵書が所蔵されているようなので、資料のコピーでも良いので依頼して自分なりに分析と校訂をしたい。そして一番面白いだろうところでは=牧野謙次郎に桂五十郞のいいとこ取り集約本じゃなくて、がちの原典を読んでいこう。

美術でも図書でもその時代に現存しているという事実を踏まえた上で、手元に引っ張り出してきて、現物を見られるようにできたら、こんなに素晴らしい事はない。一部の研究者や蔵書家の予防線みたいな位置付けじゃあ、作品がまったく浮かばれないと思います。まあそんな事を自分が言ってみたところで、仕方がないのですが。まずは体を動かして体験する事がなによりも重要だとは思います。ものを見ないで印象や他人の分析結果の受け売りをしても何にも面白くはないと強く思います。

明治維新の幕末の志士とか、出尽くした感のあるエピソードや武勇伝みたいなきれいごとやあとづけ話には、これっぽっちも興味ないのですが、個人的に、漢学者周辺の生臭い感じの物言いや行動にはすごく引かれます。時代錯誤感と自己顕示欲の暴走みたいな。紀元前の文字組みを引っ張り出してきてあれこれ議論するところとか狂人ぽくて、その一方で人間味溢れる生き方もしていて誠にすばらしい。

中国清朝末期の漢籍がらみの列伝も非常に人間くささで溢れていて興味深い。静嘉堂文庫の陸心源=宋元版の橋渡しをした島田翰のエピソードや、清朝末期の葉徳輝による雙梅景闇叢書にまつわる話、毒を持って毒を制すみたいな人間臭さがたまらない。また清朝第5代皇帝=雍正帝による大義覚迷録(取り調べ記録)がデータベースから原本を見られるので、少しずつ読み進めてみたい。

2017年5月17日水曜日

申鑑と籀史を善本で。

一日中、本と向き合ってそれで 目が飽和して見えづらくなって少し休んでまた本を調べている。昨日は、いろいろ調査した上で申鑑籀史という2種類の本、さらに気になる幾つかの本をまとめて発注してみた。在庫があるのかわからないけど。とにかく読んでみたい。

和訳とか注訳とかではなくて、あるままの本をとりあえず読み込んでみて、たぶん1割も理解できないんだろうけれども まずはそこからスタートする。再造善本を日本から手に入れるには今の所、書虫か東方書店が大きな経路となっている。そこから取り寄せてもらうので、普通の本屋さんからは『再造善本??えっ?』『はぁ??なんですかそれ??』みたいな、感じでしょう。ISBNコードは付いているようですが。。

装丁が線装(日本でいうところの和綴じ)でサイズが8開(430x285mm)だからA3用紙くらいの本というわけです。しばらく可能な限り善本を集めていこうと考えています。
この再造善本シリーズの素晴らしいところは、他の叢書類とは異なり、いままで全く評価の蚊帳の外で批評の場すら与えられなかった系統の本を敬意を持って、かつての名著とされるものと同列に置いている事、むしろそれ以上の期待と可能性を生み出す余地をもたせた上で、少数民族の文献も含めている事がなによりすばらしい。まだ全貌は、はっきりしないけど現在進行系のプロジェクトという事で、既出の宋元版パッケージとは違う価値を見出している。

 海から戻ってきたけど、今回は試験勉強というか、とにかくいままでずっと放置してきた課題に取り組んでいる。なのでおとなしくじっと派手な事はせずに、じっくりと自分の眼の前の仕事に取り組んでいきたい。それにしても田舎生活は本当に気分が良い。変な都市開発は、問答無用で自然に飲み込まれてほしい。山河あり上等です。

ところで 一個100円くらいで1cm四方のゴム印が製作できるので、1000字くらいの文字組み一式をまとめていって印刷物に応用できないか実験してみたい。いま復活しつつある卓上活版印刷とか中途半端なものじゃなくて、もっと大袈裟なやつ。工業化や大量生産できない方向のものに目を向けて、単純にアートだ芸術だとパッケージ化せずに、ものをうみだす根源的な衝動に自由に反応するべきだと思う。

2017年5月14日日曜日

版木か文字印か

最近はずっと叢書について調査していまして、例えば群書類従だったり、四庫全書だったり。今も走っているプロジェクトとしては再造善本、これが線装(和綴じ本)でオリジナルを蘇らせるというすごいもの。集めるなら今なのだろうか?すでに説文解字とか学術研究の要になりそうな文献は売り切れてしまっている様子も見られます。漢書100冊セットで130万円とか、通史120冊セットで440万円とか、車、家など買うくらいならば通史を買うほうが、人生設計的には正しい選択のような気がします。

気になる本として、聊斎志異の異本をとりあえず押さえておきたいところでしょう。
何垠注釈本聊斎志異青柯亭刊本聊斎志異、これは手に入れたい。編集の違いで本も生まれ変わるし、装幀の違いで本が別物に変身する。物語としての面白さを軽く通り越しての、本そのものとしての面白さ、奥深さをこの再造善本シリーズは教えてくれそうです。

七経孟子考文のような例もあり、また静嘉堂の宋元版のような例もある。原本に忠実にという意識や絶対観は高尚で崇高で確かに見栄えはするけれども、そこからさらに先に進んでいくと、一般に五万と流布している誰も見向きもしなくなった本に校訂、考証、注疏を盛り込んでそれ自体をかぎりなく原本に近づける、あるいは通過させた上でその先の新しい価値を限界まで盛り込んでいく作業が必要になる。

マスターとしての版木(原典)にこだわるか、文字印の入力信号(校訂)にこだわるか? 自分の場合はかぎりなく文字印の側に立った上で、文字そのものの持つ効果を考えていきたい、生かしていきたいと思っています。その意味で原典に触れる事と同じく、変質変容をとげた汎用流布品を校訂にかける作業もそれ以上に重要になってくるのではないでしょうか?

日本で国宝に指定されているごとき本が、中国で丁寧にコピー(再造)されて、それを購入できるという現状に一義的にどうこう言う前に、まずはその本を読んでみる事、触れてみる事が何よりも大事なのではないかと思う。美術館の奥底に眠っている作品も、図書館の奥深く眠っている本もとりあえず見て触れられるだけの場所に引きずり出して、そこから話を始めていきたい。そういう意識で、与えられたものを、再度与え返すという、校訂するという方向性に価値を見出したい。

2017年3月15日水曜日

やぶれた山河


日本の怪談とも違うし、アメリカのラブクラフトとも違うような感じで、
自然とか動物とかを題材にしたのっぺりした文章が読みたい。
今 手元にあるのが莫言の白檀の刑とラブクラフト全集1。
読書をする事で気分を 落ち着かせている。

国破れて山河ありみたいなのっぺりした物語が読みたい。
高尚な文学とかじゃなくて、例えばたくあんの切れ端について延々じいさんとばあさんが問答している傍らで、太平洋戦争がはじまっちゃう話とか。
井戸の水を汲みに行って帰ってくる間までの山とか川とか景色とかを綴った話とか。

現状船に乗っているのでまだ実物の本を手にしていないのですが、
”点線面”さんという本に文章を掲載させていただくことになりました。
連載という形式で、文章の量は少なめですが船とか、それ以外でも自由に書かせてもらえるということで、まじめに、そして できるだけ、のっぺりとした文章を書いて行きたいと思っています。





2017年1月10日火曜日

2017年について

今年はどんな本を作ろうかとか、どんな作品を調査しようかとか、そういう事を考える事はあっても、なかなか新しい事を勉強しようとかいう考えがでにくいのは、きっと意識が飽和している部分があるからだと思う。

なので 2017年は新しい事を勉強したいなと思います。
努力目標と言うか 勝手な思い込みで 目標にしていた出版社が単なる出版屋に成り下がったことや、 おもいがけず、くそだと思い込んでいた作り手が実は素晴らしいと改めて意識を改革してくれた事など2016年は発見の年だった。

自分における反省点を前向きに冷静に少しでも良い方向へすすめたいと思います。

2017年1月9日月曜日

本屋ではなくて 転売屋ではなくて 図書館でもなくて。





オーストラリアと日本を往復している。
日本に着くと言う事は荷物が受け取れると言う事だ。
WWB2016が一冊、やっと自分のところに届く。

家が廃墟のような枯れ草浅茅が宿の上、娑婆での生活を終えて、
晴れて島流し渡世と言う感じ。

ロシンブックスさんが蔵書を売却すると言うメールが自分のところに届いた。
これは一体どういう事だろうか?
写真集を作るための資金が足りないから、コレクションを見切りするという体裁か。
ビジネスにはお金が必要という証明か。
わかり易い。

自分は、はなからビジネスと出版を切り離している。
儲かろうが儲からなかろうが自分の活動とはまったく関係ない。
自分の準備室活動も メノウブックスも、
ちんけな投資や金儲けとは完全に切り離している。

違いはどこにあるのか。
何が違うのか はっきりしようがしまいが とにかく自分はこのやり方で
活動を続ける。

金で身動きとれないようじゃ さっさと出版なんかやめた方がいいと思うんだ。
志が低すぎる。
コンパスも、時計も、狂っているならば 船は目的地にはたどり着かない。。