瑪瑙異書類従

瑪瑙異書類従
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瑪瑙文庫(三号室)

2016年1月30日土曜日

見た物全て ある物すべて。




渡辺克己さんの写真集を最近は集めていまして、
ポット出版からのこのタイトル 新宿、インド、新宿 これが実に素晴らしい。
一方、Akio Nagasawa Publishingから出ている新宿群盗伝は2万円(手持ちはエディション500のうち150番台)もするけど、これは装丁バランスが良くない。入れ物が箱じゃなくてペラペラのスリーブで、本体のハードカバーは良いけど気持ちが抜けている感じがして残念です。

有名写真家の焼き増しみたいな出版物よりも、どこも手が出せていない作家、新しいものに生命を吹き込む事に意義があると思うので自分としては安易に巨匠作品に逃げないで行きたい。そうでないと意味が無い。

アメリカのS_U_Nから出ている和綴じ風の写真集が今日見た中で一番惹かれた。正確に言うところの手元には無いが良さそうと言う奴だ。
本を買うのは時間がかかる。
実店舗を回ると言うのは効率は悪いが発見はある。
ネットで買うのは効率は良いが中身を実際には見れないので、はずれを引く事もある。
そんな事は承知の上でどんどん探って行くしか無い。

諏訪稔さんのオリジナルプリントを購入した。
これは、実際に見てみないとわからない事なのだけども、実に良い作品、良いプリントだ。継続的に集めて行きたい。とくにこの一枚目、こちらで自主規制(白黒処理と下部トリミング)しましたがオリジナルはすごく良い。色合いがきつくてすごく良い。部屋に飾る。2枚目も3枚目も良い。良い写真だ(エディションプリント1/5だ)。







勘違いされても バカにされても全然構わないのだけど、
少なくとも 同じ志で 立場で土俵で生きている人に対して自分は敬意を常に持っています。 前向きに冷静に生きて行く事だけですね。









2016年1月25日月曜日

能楽→ストリップ→浪曲の無限ループ=上州博徒の聖週間






一日中 写真集眺めて、浪曲と能楽と見て聴きまくって、明日の予定はストリップ鑑賞という状況は望んだ環境。いわば上州博徒の聖週間。映画でもなく能楽。アイドルでもなく浪曲。現場はストリップ劇場。意識が徐々に高まってきた。浪曲すばらしい。。韻踏んでるしコブシも利いてる。

小野寺南さんの前期という写真集を手に入れて、読み続けている。
分冊となっていて箱がなんだか手作り感が出ている装丁物、これが素晴らしい。

日本カメラから出ているヌード本The nude vol.2の温度差の狂った状況に個性以前に見る側の好き嫌いがはっきり見て取れるのがすごく面白い。クソみたいな写真とそうでない写真とが共存しているのが一番重要なところ。編集のすごさとうまさ再確認。

静謐な時間を、写真集と舞台芸術とあまたの出版物のために費やす。

2016年1月24日日曜日

ベンチと業

セルフ研修でシアター上野に行ったのですが、今まで見たどのバンドのライブ、アイドルのライブ、ダンスプログラム、能楽、そのどれよりも秩序だっていて、整然としていてすごく感動した。一見とっちらかっているように見えて、あれは遊び(余裕幅)の部分。本要素は見えるところ聞こえるところの確かなかたち。もっといろいろな現場に行こうと思った。バーレスク的な感じもあるし、エロと言うよりもボディービル的な要素と個人技が面白い。
駅のホームにあるような水色のベンチに座ってストリップを見ると言うのは感慨深い。非常に感慨深い。素晴らしい劇場だ。 印象だけで結論を導くには早すぎるから、現場を見て、考えるのではなくて、感じとれる要素で判断して行きたい。

写真集 可能な限り調査している。写真は橋本さんの新しい写真集。本のデザイン装丁が非常にやさしく女性的だが中身は野性的。 横たわる人の背中と土間のような簡素な家屋がとてもすばらしい。

上野には演芸場や古典芸能見られるところがいくつかあって、行列なしているのを見て、とても素晴らしいと思った。機会をみて突撃したい。浪曲がすごく良い感じ。
そうだ浪曲の現場を見に行くんだ。落語も良いけど浪曲の方が自分は好きだ。



2016年1月15日金曜日

手袋と本 

住んでいるところの近くで交通事故が多くて、しかも悲惨な物ばかり。
安中市はいつの間にか市町村合併して面積が大きくなっていた。
車が悪いのか人が悪いのか。
バスが横転するほどの状況で、人間の生死が数十人レベル。
驚きしかない。
交通事故はただただ悲しい。

話は変わって 周期的にものすごく活字が読みたくなるので、今日はこの本。
土門さん。講談社文芸文庫からでている本の内容と重複しているような気もするが、とりあえず読んでみる。

代官山蔦屋書店に写真集調達にいったら渡辺克己さんの写真集があって購入した。
クロダミサトさんの日本カメラから出ている本も積んであったので購入した。
沢渡さんのkinkyっていうでかい本が予想以上にカッコいいし、すばらしい。
ヌードだろうが無かろうがあんまり関係なしで、とにかく人が活き活きと写っている写真が見たい。

気持ちが大きく変化する事があって、まあとりあえず本でも読んで落ち着こう。
写真集というのは本当に息の長いもので、じわりじわりと効いてくる。
20年30年後くらいに、やっぱり良い写真集だよね、これ。
と言う風情の物を作って行きたい。

一年の半分以上海の上で、フットワークも何も関係ないのですが、
前向きにやって行こうとは思います。

絵画と写真の境界線が全く感じられない。

13日に井村一巴さんの作品を見に、tokyo arts galleryという所に初めて行った。
もはやその空間自体、固有名詞が普通名詞のような曖昧さで、それが一番驚かされたんだけど、展開されている作品もほぼ写真と言うよりも完全なる絵画扱いで、写真と言う感じが全くしなかった。良かった悪かったなどという曖昧な感想は全くなくて、自分が昔に一日に何件も何回もぐるぐるギャラリー巡りをしていた頃を強烈に鮮烈に思い出させてくれる展示だった。とにかく怖かった。

自分も小汚い格好して相当失礼だったと思うが、似たような雰囲気な方もいて、相当な目利きだと自分は思った。話さなかったけど。絶対どこかのギャラリーが美術館で会ってるよあの人。。。まあいいや。。。

とにかく現場で見たり聴いたり触れたりしないとわからない事だらけで、本で触れるのとは全然違うから、サイズも色も形も全部含めて直接見る事は絶対的に大事だなと思いました。

頂いたこのフライヤー(上の写真)がすばらしい。真っ黒。カッコいいね。

今回見た展示とは全く関係ないので勘違いして欲しくないんだけど、
これだけは今回強烈に思い起こしたので書いておく。

とにかく最近、すごく思うんだけど、思い込みはいけないね。
写真を撮る人は写真作品を買わないとか、そう言い切ってしまうのは危険だし、
それは無知と言うもんだ。単なる思い込みだよ。
絵描きが自分以外の人の作品だって普通は買うんだよ。
それが当たり前なんだ。

ビジネスだか何だか知らないけど 、農家が野菜買って喰わないなんて話は聴かないし、機械屋が機械作るだけで買わないなんて話はあり得ないんだよ。

美術品を食い物にしている奴らを徹底的に駆逐したいね。
もはや青山二郎の世界だよ。上州の賭場で目をつぶされて、瀕死の状態で鮮血にまみれた鳥の状態だよ。作家も作品もありゃしない。生きるか死ぬか、博徒も闘鶏場の鳥も、作家もギャラリストもそれほど景色は変わらないはず。鮮血にまみれた、喰いつぶされた作家を見捨てるしかないだろうし、結局最後はくたばるんだよ、当たり前のように。外野がビジネスだなんだと軽々しく、投資だなんだと、ふざけるなと。自分は今の立場で、地べたに寝転がるような博徒で良いから、もっと真剣に作品と対峙していこうと思った。本当にそれだけで充分だ。






2016年1月12日火曜日

作品を買う事と作品を理解する事とは異なる>>>>買う事に意義がある。

意識が想像力と一緒に垂れ流されただけのだらしなく下品な作品には黙る事しか選択肢が無く。逆にすばらしく生産的で、想像的な作品に対しても感嘆して黙るしか無いという選択肢しか無い。

作品を理解する事を必ずしも作品自体は求めていない。
作品を買うと言う行為には作品の価値を左右する付加価値など必要ない。
買うと言う行為そのものに意義がある。
あれこれ偉そうな理解幅で言葉だれで作品に対峙しようともそれに説得力はない。
買う事、それも純粋な個人の自力で。
企業の税金対策でも、宗教法人の 餌でもなく。
知識人の余暇でも、バブルの受け皿でもなんでもなく。
自分の汗水労働の対価でバランスさせて、
自分は作品を買う事に何よりも価値があると感じている。

そして、
一日中いろいろな写真集を調査してわかった事は、もっと丁寧に作品と接したいなと思った。

企業体には企業体としての存在意義があり、必要とする広告媒体があって、
しかるべき販促手段が必要とされる。それに個人で活動している自分が乗っかる事はありえない。勘違いされようが、非難されようがおかまいなしで、自分の力で自分の意識で作品を買って行く必要がある。他人にギャラリー巡りや作品購入を勧めるなどするつもりはない。コレクター同士でなれ合って村を作るつもりも無い。サラリーマンコレクターなんていう代名詞は差別用語だし、作品を自力で購入している人間に失礼極まりない。それを勘違いして喜んでいるコレクターさんたちは確かに存在する。浮浪者のような自分にはまったく入り込む余地のないバブリーな世界だよ。さっさとくたばってしまえば作品だけが残ってすっきりするのだろうが。

今日は とても良い作品と出会えたよ。
日本人の写真家さんの作品だ。
作品集も買うし。作品も買う。これで畑(準備室)が潤うよ。
手元に届いたら展開して行くつもりです。






演技1分間合い1分 残りの100分近くの苦痛と忍耐はいらない。


金子山さんの写真集が準備室より出版されました。
喰寝の世界はひとまず切り離して、ノーマルな写真世界をのんびり味わえる作品となっております。
現在の取扱店舗は ジュンク堂書店池袋本店さま、代官山蔦屋書店さま、さらにはナディッフアパートさまで取り扱って頂いております。見本が展開されておりますので実際に手に取って頂けたら幸いです。よろしくお願い致します。

話は変わりまして演劇の話。
純粋な面白いか面白くないか、わからないような演技が見たくて、界隈をぐるぐる巡っているのだけど、回りくどい演技、垂れ流された時間軸、あげくの果てには声がでかいだけ、といったさんざんな現状に 途中で帰りたくなるような舞台は、関係者が見切りを付けて逃げ出した方が良いんじゃないかとさえ思う事があった。こちらも麻痺しているのだけど、演劇関係者も相当麻痺しているような気がした。だけど1割にも満たないすばらしい役者さんのすばらしい演技が見たいだけの気持ちで演劇を見続けている。
見つけたら包み隠さずにオープンに賞賛して行きたいと思います。


 

1年間に12冊写真集を出すと言う事。

浅草は朝早いのにも関わらず、写真を撮っていたらものすごい人で溢れてきて、
昼過ぎには離脱した。

自分にとって歩くと言う事は考えると言う事で、決して忘れると言う作業ではない。
だから自分はできるだけ歩きながら考えたい。

ずっとひたすら写真集を調べている。
どの写真集の帯をみても森山さんの言葉ばかりで、他の人の帯文も読みたいと思った。
 いまさら帯文買いとかいうのもないか、全米が泣いたとかその程度の感触しかない。

赤々舎さんから出版された鈴木育郎さんの写真集『解業』を読んだ。装丁がしっかりした分厚い本だった。写真は全くわからない。善し悪しや好き嫌いがほとんど錯覚のように感じる時がある。そういった要素の多い多面体、いろんな人向けのいろんな写真が入った本だった。写真集を一年間に12冊出すと言う事はそれだけの量の写真を撮り、まとめて本にして行くと言う事。作家が写真を撮ると言う事は歩行に近いのかとも思う。
自分の場合1年の限られたタイミングでピンポイントで写真集を出版して行こうとしているので、そもそも12冊なんて言うのは無理な内容だ。だからこれからも自分のところで自分の判断できちんとした作品を継続的に出版して行きたい。

写真集の写真を撮る側の人ではなく、作る側、出版する側の人と話をしてみたい。バランス感覚がよくわからない。ビジネス0はあり得ないし、100も無い。あからさまな作り物って味も触感も均一で全く受け入れがたい。

電車にのっていたら対向車両の車体にCD出ました買って下さい音楽広告、もはや音楽とは関係のないところで音楽を展開しなければCDは売れないのか、売らなければならない状況って必要悪としか思えない。広告は下品でしかない。

最近調べた中でこれは良いと思った写真集が何点か、
できるだけ手に入れたい。
今日も明日も歩いてくる。できるだけ遠くへ、できるだけ確実に。




2016年1月7日木曜日

新写真集 Lilia Li-Mi-Yan"Nausea"

今日 家に帰ったらLilia Li-Mi-Yanさんの写真集Nauseaが届いていた。


トルクメニスタン出身でロシア在住の写真家。
内容は生臭くて、エロでもグロでもなくて視覚よりも嗅覚に訴えるような写真群。
単純な美とは思わないが、写真以上の生々しさや迫力が迫ってくるのが良い。

話は変わって、人の畑を荒らすのではなくて自分の畑を耕して、
野菜作って、出来るだけ良いもの、新鮮な物を提供して行きたいと
2016年は気持ちを新たに冷静に前向きに実行して行きたいです。

畑は準備室、野菜は写真集や書籍、展示や展開という意味です。
相互作用も相乗作用もとりあえずは、意識せずに
できるだけ独自の路線で、継続的に。

池袋のジュンク堂書店さんに本を納めてきました。
金子山さんの新写真集です。
本を扱って頂ける人の顔が見えると言う事は素晴らしい事で、
大量生産書籍の流通とは別の重みや、ありがたみや、
そういう全てが 勉強になると改めて気づかされました。
まわりのひとびとに感謝です。