瑪瑙異書類従

瑪瑙異書類従
準備中

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prep room 準備室(一号室)
menou books  メノウブックス(二号室)
瑪瑙文庫(三号室)

2017年8月21日月曜日

半年分の荷物、携帯品

荷造り完了です。
半年間、船に乗って帰ってくるまでに必要なもの、荷造り完了です。
ほとんどが消耗品で、それ以外はノートPCとカメラ、電気髭剃り、本、筆記用具。
一番重く、かさばるのが半年分のシャンプーとリンス。下着類に靴下、タオル、作業服、サンダル。その他は歯ブラシに歯磨き粉。充電電池にバッテリーチャージャー。
ほとんどすべての消耗品を使い切って、下着も作業服も全部処分してくるので、
帰りの荷物は相当軽くなる。
石鹸と洗濯用洗剤が船で支給されるのは15年前から変わらない。
余計なものはほとんど持って行かない主義なので、何が本当に必要なのかを意識して、
何年も同じこと繰り返してきて、これが現状のベストの状態。











2017年8月19日土曜日

できるだけ遠回りして、こつこつと。


8月22日から半年ほど船で仕事してきます。
来年2018年は、できるだけ遠回りして、ひとつづつ課題や目標をクリアしていきたいです。

所持品を限りなく少なくして身軽に、できる限り動きやすい状態で、常に旅行気分で、歩いていける範囲で、できる限り遠回りしていきたい。

今日は乗船準備をして、年末出版するWWB2017のISBNコードとか前倒しで作った。船に乗るのはもうこれで何回めか忘れたけど、旅的感情はわずかで、仕事に直結って感じですね。仕事も日常も全部ふくめてできるだけ遠回りして、こつこつ進めたいという状況です。


旅の手仕舞いみたいなものか。
部屋を片付けている。
家にいる時間が短いような気もするが、そうでない気もする。
部屋をどれだけ整理できるか、そういう状況ではある。









2017年8月14日月曜日

読まずに食べる本。食べずにあつめる本。

自分の部屋は畳の部屋で、そこでひたすら読書とパソコンと映像を見たり写真を見たりそういう時間で今は回っている。今回の陸の生活は半分以上が自分がやり残した試験勉強と、次の生活のための読書と準備に費やした。収穫は漢籍の捕獲作業。
あたらしく準備室の三室目として瑪瑙文庫という名前で漢籍図書室を設置した。

調査の過程で分かったことは、日本に数ある図書館には既に、多くの漢籍テキストが収まっていて、ここから改めて新しい図書を買うような予算や余力や気概や熱意みたいなものは全く感じられずに、むしろそれが自分にとって中華再造善本を買おうという動機付けになった。 たかだか200部や多くても500部程度の初版本を日本国内のみならず中国本土、対象としてもちろん台湾や韓国などでも購買層がいても良いのだろうけど、もはや研究所でも物好きでもほとんどだれも見向きもしないくらいの本の塊は読まずに食べる類の置物の部類なのかもしれない。

再造善本の"両漢紀"が2011年初版200部でまだ残っているということは、買う段階で、テキストの見本が見えないということも含めて、もはや飽和しているということなのかもしれない。自分が一人でこの2017年に及んで狂ったように騒いでいる"春秋左傳正義"36巻については2003年初版300部で15年くらいたっても捌けていないということが 、ほとんど誰も買わないということの証明になる。国費を使った中国の図書館や研究所でも回らないということが現状の漢籍の位置付けということになるだろう。だからと言って本自体の価値がどうこうするはずはなく、だったら自分が集める価値はおのずと見出せるという結論になる。

この文字の塊と、紙、印刷、綴じもふくめて読んでみると、単に実用化されたハードカバーの一般普及書にはない本自体の良さが、手触り、目ざわりの感覚として生きた書物のように感じられるのは大きい。

 "朱慶餘詩集"はとにかくこの文字が異常に美しいことと、折本でまとめられているということが大きい魅力となる。ただ紙が他の再造善本とことなるのは、折本仕様と関係しているのかもしれない。薄い紙で折本を作るというのは至極むづかしいということなのかもしれない。これだけのページ数を折本仕様にするにはある程度まとまりと強度のある紙が必要だということかもしれない。



 問題の"春秋左傳正義"36巻。蔵書印の内訳は現在のところ残念ながらよくわらない。
(北京図書館蔵というのはわかる。)




この"鶡冠子"の蔵書印は馬鹿でかいのだが、よくありがちなのか、どうなのかわからないくらい本文テキストにかぶった感じがうっとうしい。すこしは遠慮しろよと。小さい蔵書印できっちり所在所蔵がわかる印のほうがよっぽど賢そうだし、機能美もあると思う。

とりえずまだまだ自分は入り口にも立っていない感じだから、謙虚に根気よく本を集めたい。積ん読的な場としての瑪瑙文庫じゃなくて、学術的な意味を含めた、資料庫の役目を果たせるような場を独自に確立したい。




2017年8月11日金曜日

文字が生きている



準備室に春秋左傳正義36巻(線装32冊)が収蔵されました。八行本春秋正義です。国の重要文化財である足利学校所蔵の十行本よりも八行本の方が原本に近いのです。国宝である宋版尚書正義(八行本)と同列です。既にあらゆる形で頒布されまくっている阮元版十三経注疏本ものとは違います。自分が所蔵しているのは中華再造善本ですが、文字も印刷も紙もとても美しいです。続修四庫全書の影印とも趣や重要度も違って、状態としては現存する書物としての文字の生きた感じは非常に活かされていると思います。

さらにこちら、本当に文字が生き生きして素晴らしかった、両漢紀。全編にわたって文字がとにかく美しい。原書の旅という感じです。可能なかぎり史部書籍を集めたいと今は思っています。





2017年8月9日水曜日

大雨でも台風でも

自然の災異や現象をそのまま伝えること。
人間の都合良いように勝手に恣意的にブーストしない。
そういう表現を好む。
大波も台風も無風も雷雨も。
予報よりも結果。
予想よりも事実。
歴史書に於ける事実を読み解く術を学びたい。
オカルト的な予言よりも歴史を踏まえた予見というか、そのあたりの事実表記を、
書物から読み取りたい。



乗船間際で書物が到着とのことで、明日受け取りに行く。
いまさらなにをといわれても、過去にたくさんの人が何周もした歴史書の海の中潜っていこうと思います。



2017年7月28日金曜日

おさんぽ お絵描き


少しスイッチが入って なんか一人で盛り上がってきているのですが、この雑誌の何が良いかと言うと、表紙がすごく良い。根源的な描くとか記すとか全身で表現する感じが美しい。書道とか形式ばったものでなく、ダイレクトに暴力的に構造物に記す術。甲骨文字とか石碑とか竹簡とかそっちの流れを汲んでいると思う。生きた遺跡碑文。新しい文字形態。

雑誌のタイトルはHSM GRAFFITIマガジンです。

 10号から13号までまとめて手に入れた。
冊子的には薄いが中身は貴重な記録でまとめられている。インタビュー記事が熱い。デザインだなんだと、PCデータじゃ意味がないと熱く語って、現物に物に直接書き込んで、描き、落としこんでいくことこそ意味があると、アナログ万歳。。すばらしい言葉で綴られている。

結局この表紙の場所、人、撮影データなど一切の情報は得られなかったが、それもまた良いと思う。そういった性質のものだから。


 ステッカーも手に入れた。三栄アート工房 CASPERさん謹製ステッカー。良い感じ。









2017年7月26日水曜日

できるだけ遠くへ



呻吟語は最近手にいれた書物で、線装、函入り、文字が全て青色。文字組が一般的なもので、それほど際立って美しい形態とは感じられなかった。凡庸書物という感じ。ただ紙に埋め込まれたテキスト自体はとても貴重なので大事にしたい。

最近は、普段の自分の日常生活からどれだけ物理的に精神的に遠くへ行けるかを実践している。日常生活が良くも悪くも起点だから、可能な限り離れたところから見える日常はそれだけで価値があるように感じる。

この呻吟語も従来そんなに重要視されなかったみたいだし。
自分がこれは素晴らしい、貴重でしかも、質的量的バランスもすばらしいと思って大事にしている群書治要もきっとそんなに重要視されてこなかったんだろうと最近あらためて感じてはいますが、そこから派生させ、派生してくる二次制作物に期待して、どうにか自分で一から再生産していきたいとはゆるく考えてはいます。

うとうとして、ぼんやり遠くを見ながら、のんびりしようと努めた休日が気づいたらほとんどの時間が、吹き飛んで行く感じで、目の前がどんどん雑然としてくる。いらないもの、見たくないものが溢れてきて、これはちょっと耐えられないなと意識が働いて、ものをどんどん遮断する、切り離す毎日です。

街の本屋を見てもゴミの山のようにしか感じられないのは自分の単なる思い込みだとしても 、本を集めるのは面白いなと。人の写真を見ることは面白いなと。自分で写真を撮るのは面白いなと思うこと場面はたくさんあります。最近も継続して写真をとってはいますが、斜に構えたりせずにできるだけ物事人物の正面を捉えるようには意識的にしています。


1256年の今から760年くらい前にだ、この本(群書治要)は起こされたわけだけども、このサインというか署名というか、まことにかっこいいね、美しいね、ほんとうに。

街にあふれる変なグラフィティーとかいらないから、
きっちり刻字されているグラフィティーが見たいね。

電車の中吊り広告とか、テレビ、CM、雑誌とかアドビ文字でことごとく溢れているけど、やっぱり文字は手書きが一番美しい。

徳川家康が死ぬ間際に血眼になって編纂させた駿河版本(1616年)は判型としては美しいけれども、だいぶ急がせて作らせたものだから文字が暴れているようです。
上の写真の翻印本は、金沢文庫の所蔵だった群書治要で鎌倉時代の巻物(1256年)を昭和16年に活字に起こしたもので、優しい感じがして、しかも美しい。

1000年くらいの時間感覚で物事を立体的に考えられたら素晴らしいと思う。日常生活のあれこれがどんどん切り捨てられていく、質も量も失ってどんどん軽くなっていく時間の感覚をとにかく大事にしたいと思う。

現状の山の中での隠遁生活を日常ととるか、海上生活を日常ととるか、どちらも同じように天秤にかけて、それを何でバランスさせるかを考えたときに、もはや上記のような時間的にも歴史的にも叩き潰されずに耐えて生き残った強固な書物のようなものでしか支えきれないような気がしている。

日常のこまごまとしたことにいらいらしても仕方がない。
自分はできるだけ鶡冠子みたいな山人生活と、俊寛みたいな島流し生活をとりあえず最大限楽しみたいと思う。遠くまで行けるということは、結論的には幸せなことだから、今ここで見たり聞こえたり感じたりできることを、景色としての日常生活を素直に楽しみたい。